いのちの講演会22 2013年10月14日

今年度も
いのちの講演会22
「金澤泰子さん講演会」に
岡山いのちを考える懇談会の
お招きでお邪魔させていただきました。

今年は金澤泰子さんの「ダウン症の子と供に生きて」
女性書道家として有名な金澤翔子さんのお母さんのお話です。

42歳で初めて授かった子ども、
日本一の子どもに育てようと思われたそうです。
しかし、
生後50日ほどして
ダウン症であると宣告が・・・・
今から28年ほど前、
障がいに対して世間の目が厳しい時代です。
お母さんである泰子さんの心の叫びはどれほどだったのか
計り知れないものがあったはずです。

お話は、
お母さんとして泰子さんの姿や
翔子さんと泰子さんの母と娘の関係など
その当時のエピソードを交えてのお話に
ただただ、うなずくばかりでした。
料理と掃除はできなくてはと
一緒にされた話など、
時に力強く、
時に母としての慈愛に満ちた語り口調でしたが、
強い決心があったことが感じられました。
そして、ダウン症を持っているけれど
決して不幸でもなく、かわいそうな子でもないと、
周りの人間が、その子の様子から思っていることで
本人は、今を精いっぱいに生きて
常に最良のパフォーマンスを見せてくれていること、
生きていることを感謝していると話を進められ、
今の自分たちがあるのは、自分たちの力ではなく
周囲の人の支えがあったからこそと、
そして、その時は苦労だ、困ったことだと思っていたことが
考え方を変えることで、
違う力が必ず働いて
闇の中でも必ず光の方向に導いてくれると言うこと。

生きていれば絶望はない!
と締めくくられました。
学園の子どもたちも
施設で暮らしていることが
かわいそうなことではなく、
自分たちの立ち位置が大事であること
今できる最高のことを頑張ることに気づいてくれると
嬉しいなぁと思ったしだいです。
日々の積み重ねと純粋な魂、
現代人には高いハードルに感じられますが、
一人ひとりがちょっと気をつけることで
大きな力になっていくのでしょうね。
また、オープニングで合唱とハンドベルの演奏をしてくださったのは、
高次脳障害の当事者の皆さんで結成された『かたつむり』の皆さんです。
やわらかいハンドベルの響きに感動をおぼえました。
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余談ですが
講演会の後、せっかくだからと、
子どもたちと美観地区を歩いて
ソフトクリームを子どもたちに買っていると、
「せんせい!どうしたん!」と・・・
振り返ると3人の男の子を連れたお母さんが。
昭和の終わるころ、玉島学園を巣立っていった
女の子、今ではすっかり良いお母さんです。
お隣の県でペットのトリマーとして独立して頑張っています。
盆や正月明けには時々旦那さんらと顔を見せてくれています。
今日は旦那さんが明けで休んでいるからということで、
ゆっくりしてもらおうということと、
3人の子どもたちが電車に乗りたいと言ったからと、
JR利用で倉敷に来て偶然、背の高い人が目に留まって、
ビンゴ!だったようです。
講演を聞きに行った子どもたちは、
何のことか最初はわからず「きょとん」としてました。
教え子も私も久々の再開を喜びました!
縁とは不思議なものだと
改めて感じた一日でした。
今日に感謝ですね。